個人の意識が、地域の音環境を変える
騒音と「必要な音」を分けるもの
音は自然に耳に入ってくるものですから、視覚情報以上に取捨選択ができません。その音が騒音になるかどうかは、音量だけでなく、その受け取り手である共同体にその音が必要と思われるか否かが深く関わっています。
例えば、時刻を知らせる拡声器による放送は、住民たちが同じような生活をしている漁村などでは必要な音として受け入れられます。しかし、都会から「静かな生活をしたい」と移り住んで来た人にとっては迷惑なときがあります。うるさいと感じる人が古くからの住民を上回るようになれば、放送は騒音としてとらえられ、止められてしまうこともあります。
また新興の私立の学校で、苦情がくるために自校で運動会が開けないということがあるそうですが、運動会が地域の共有の行事になっているような昔ながらの学校では、相当大きな音を出しても騒音とは言われません。
クラクション騒音を解決した市民運動
音の問題は、音響学だけでは解決できません。まちづくりや環境の問題でもあり、心理学や社会学とも関わってきます。
顕著なのが、クラクションの騒音の例です。1950~60年代初頭、日本でも問題になりました。
まず行われたのが、法による規制でした。音響学に基づいた音量の基準で規則を作り、警察が取り締まったのです。しかし「音」は一度出してしまうと消えてしまうものなので、証拠が残りません。結局、取り締まりがある時にしか音を減らす効果がありませんでした。
問題を解決したのは、大阪市が行った「町を静かにする運動」でした。市民それぞれのクラクションに対する意識を変えることで、騒音が少なくなったのです。それまでクラクションを鳴らして行われていた無茶な運転も減り、交通安全も守られるようになりました。
鉄道の騒音のように、動かすとどうしても出てしまうような音に対しては規制で解決することができます。しかしクラクションのような人の意志による音の問題は、どれほど優れた法律を作っても、個人の意識を変えなければ解決できないのです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。