言葉は時に、人を盲目にする~アメリカ文学から見えるもの~
言葉、文学、フィクションは、取扱い注意!?
人は、言葉によってコミュニケーションを行い、共通の認識を持ちます。言葉は大変便利なものですが、同時に私たちを縛るものでもあります。なぜなら、自分の意思で見ていると思っていた事柄が、実は言葉の持つ力によって、そう見るように仕向けられていることがあるからです。
虹は七色ではない!?
例えば、日本には“七色の虹”という表現がありますが、世界には虹を、6色や5色、時には2色で認識する国があります。もちろん、虹自体が変化しているわけではありません。しかし国や文化によって、虹の色は変化するのです。このように、私たちは物事をありのままで受け止めているのではなく、あらかじめ言葉によって定まったものを、見たり聞いたりしていることがあります。幼いころから「虹は七色だよ」と教われば、7つの色を虹の中に見るようになるのです。そして、言葉の持つこのような力を分析することを、“言語論的転回”と言います。
そこにあるのに、見えないもの
この言語論的転回を用いて文学を読んでみると、“不可視の存在”に気づきます。現実にあるのですが、見えない、あるいは見えづらくなっているもののことです。例えば、アメリカ文学には先住民族の迫害と虐殺や奴隷制度といった、アメリカの負の歴史をテーマとして扱った作品があります。それらは、人間は平等であるという枠組みの外に置かれ、見過ごされがちだった先住民族や奴隷の姿を、可視化しようとする試みのひとつなのです。アメリカの作家、トマス・ピンチョンが1966年に発表した『競売ナンバー49の叫び』という作品があります。主人公が、世界を密かに支配している地下郵便組織の存在を疑う話で、“郵便=情報が世界をコントロールしている”と読みとることができます。
言葉だけで混沌(こんとん)とした現実を切り取ることは難しいですが、文学を通して、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれません。
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