視点を変えると見えてくる作品の裏側
世界の中心、それが主人公
ある文学作品で、主人公を困らせる脇役がいるとします。主人公にも、読者にも反感をもたれる存在ですが、それは、一方的な視点でしかありません。その脇役はなぜ、そのような行動をとったのでしょうか。その脇役はどんなところで生まれ、どんな環境で育ったのでしょうか。作家は、自分の伝えたいことのために主人公をつくり、脇役は主人公の都合に付き合わされます。しかし、こうしたスタイルでは描ききれない限界を、文学を通じて知ることもあります。
脇役には、脇役の人生がある
評価の定まった文学作品を、別の視点で書き直したらどうなるでしょうか。例えば、19世紀にシャーロット・ブロンテによって書かれた、イギリス文学の傑作として名高い『ジェーン・エア』という作品があります。周囲の心無い仕打ちや社会の因習にもめげず、自分の気持ちに正直に生きた女性の話で、ヒロインが美女ではないことや、女性から愛を告白するなど、当時の社会常識を覆す画期的な作品でした。しかし、どんな作品にも偏見や歪(ゆが)みがあります。やがて20世紀に入り、ジーン・リースという作家が『ジェーン・エア』に登場する脇役を主人公とした作品を発表しました。ヒロインを苦しめる人物・バーサの視点で描かれた『サルガッソーの広い海』という小説です。
白黒は簡単につけられない
『ジェーン・エア』では、ヒロインの芯の強さや賢さを強調するために、バーサは醜い容姿の持ち主として描かれています。そこにジーン・リースは、クレオールへの蔑視があると感じました。ここで言うクレオールとは、植民地生まれの白人のことを意味します。バーサは、イギリスの植民地だったジャマイカ出身という設定なのです。ジーン・リースも、同じカリブ海域のドミニカで育ったクレオールでした。
このように、視点を変えると全く別のものが見えてくることがあります。文学は、そのことに気づかせてくれる媒体でもあるのです。
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