『ドラえもん』のまちになれなかった町のまちづくり
高岡市出身の藤子・F・不二雄
『ドラえもん』の作者である故藤子・F・不二雄氏は、富山県高岡市の出身です。かつては高岡市の町おこしとして『ドラえもん』などの作品そのものを全面的に活用しようとする動きがありました。しかし、すでに藤子氏の原画や貴重な資料は神奈川県川崎市に寄贈され、記念ミュージアムが開館しています。となれば、高岡市は新しい考え方(コンセプト)によって、アプローチすることが必要になります。
創造性や感性の原動力を育んだ土地
やがて藤子・F・不二雄氏は藤子不二雄A氏とともに上京し、東京の木造アパート「トキワ荘」での共同生活を経て、児童漫画の巨匠として開花しました。藤子氏の漫画家としてのキャリアと平行し、長年にわたり生活の拠点となったのが川崎市でした。漫画家・藤子氏の“作家としての遺産”を、川崎市が所有することはごく自然な流れなのです。一方、高岡市が、藤子氏生誕の地であり、多感な少年時代を過ごした町であることも揺るぎない事実です。言い換えれば、藤子氏はこの故郷で、作家としての創造性や感性を育んだのであり、そんな町は高岡市以外にないのです。そこが川崎市との大きなコンセプトの棲み分けとなります。高岡市で育んだ体験や記憶が、藤子氏の作品に大きく反映されていることは間違いありません。つまり高岡市では、少年・藤子氏の“知と体験の遺産”を受け継ぎ、ユニークな人間や人材を育てるまちづくりプランへと活用することができるのです。
違った角度からアプローチする
例えば藤子氏が少年時代、夢中で読みあさったさまざまな図書を忠実に揃えます。のちに作家として自立し、多彩な作品を創作するルーツとなった図書を、高岡市の子どもたちに提供することで、創作や科学、冒険などへの興味を高め、夢のある創造性豊かな、第2の藤子・F・不二雄を育むことを目的とするのです。
このように、まちづくりを行う場合においても、単にゆかりのある人物のミュージアムを作るだけでなく、そのコンセプトをじっくり煮詰めて活用する必要があります。
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富山大学 芸術文化学部 芸術文化学科 デザイン情報コース 准教授 沖 和宏 先生
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