箏曲『六段の調べ』は、なぜ箏の代表的な楽曲になったのか?
箏曲『六段の調べ』とは
箏(そう=こと)で演奏する日本の楽曲として、最も有名な作品の一つに『六段の調べ』があります。箏曲をほとんど知らない人でも、お正月などに和食レストランや和菓子店などでBGMとして流れることがありますから、耳にしたことがあるかもしれません。
この曲は、八橋検校(1614~1685年)という江戸時代前期の人物の作品とされています。しかし実際のところは、それ以前から伝承されてきた曲を、八橋検校が一つの決まった形にして弟子に伝えたもののようです。
いずれにしろ、この曲は、明治初期までは単なる箏の練習曲だったのです。江戸時代には、重要な箏曲にはみな歌詞がつけられており、『六段の調べ』のように歌詞のない楽曲が重要視されることなどありませんでした。
明治政府の音楽研究で注目
箏曲『六段の調べ』が注目を浴びるようになったのは、明治政府によって西洋音楽の研究が始まったことによります。
西洋音楽には「器楽」と「声楽」というジャンルがあります。ところが、日本で重要とされている音楽にはすべて歌詞がついており、純粋な器楽曲はほとんどありませんでした。そこで、当時の文部省音楽取調掛(現在の東京芸術大学音楽学部。1879~1887年、日本の音楽教育機関として活動)は、日本における器楽曲として『六段の調べ』に注目しました。
こうして『六段の調べ』は、練習曲から「日本を代表する箏曲」になったのです。
音楽史を構成する楽曲
音楽史を構成する作品には、さまざまな側面があります。作曲当時も今も高い評価を受け、人々に愛されている有名な楽曲が取り上げられる場合もあれば、それほど有名でも優秀でもないけれど、ある時代を象徴する作品として語られる場合もあります。また、特定の時代の思想を知る手がかりとして研究され取り上げられる場合もあります。さらに、上述の箏曲『六段の調べ』のように、歴史の変遷の中で、存在意義を変えた作品も音楽史を構成する作品として取り上げられることもあるのです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。