いまをどう生きるか、100年前の小説から人生を学ぼう!
奥が深い言葉たち
ネットにあふれる情報とは違い、小説をはじめとする文学作品を読むには時間もエネルギーも必要です。中学や高校の国語の授業で小説を読む機会が減っているせいか、読書が苦手という人も増えています。
しかし文学作品に書かれた言葉は1つのメッセージだけではなく、いろいろな意味が込められています。時にはその時代に対しての批判や警鐘となっていたり、受け手(読み手)次第で複数の意味を持つことすらあります。
特に明治末期から大正初期に書かれた小説の中には、100年という年月を超え、今に通じる説得力ある作品が少なくありません。
あなたが主人公!?
夏目漱石や森鴎外といった作家たちが活躍した100年前は、今ととてもよく似ています。当時は就職難で東京帝国大学(現東京大学)を卒業した学生の約3分の1が就職できないような状況でした。その中で作家たちは自身の葛藤や悩み、その乗り越え方を小説に書いていったのです。
漱石の『三四郎』では、九州の田舎から出てきた主人公が、故郷や学問、恋愛といった世界で悩む姿が描かれています。読者である私たちは、主人公に感情移入して同化的な追体験をしますが、三人称で書かれた小説は、主人公を肯定するだけでなく、時には突き放し、距離をおいて客観視することを読者に促します。
今だからこそ伝わる想い
言葉の中には、時間を経て熟成され、多くの人の心に響くものが少なくありません。
例えば東日本大震災ではTwitterの即時性が話題になりました。確かに情報を伝えるという意味では画期的で便利なツールです。一方で5年、10年と経た時に「あの時はこうだった。だから今後はこうすべきだ」と人々に伝える役割は「140文字のつぶやき」ではなく、「時間と歴史の風化に耐えた文章」が担っているでしょう。
100年前の文学作品たちによって、それと同じ働きが今の時代を生きる私たちにもたらされているのです。
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先生情報 / 大学情報
愛知淑徳大学 創造表現学部 創造表現学科 創作表現専攻 教授 永井 聖剛 先生
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