日本とハワイの関係を知ると、今の「観光地ハワイ」が見えてくる
観光地としての歴史は浅い
ハワイは日本人にとって非常に身近な観光地ですが、ハワイの観光地としての一面は、実はほんの100年前に作られたものです。そこに至るまでにはさまざまな歴史があり、日本との関係も時代とともに変化してきました。
独立王国だったハワイ
現在のハワイはアメリカ合衆国の州ですが、かつては先住民だけが住む独立王国でした。1778年に、イギリスの航海家ジェームス・クックがたまたまハワイに漂着したのを機に、まずヨーロッパ人たちが捕鯨の中継基地として、またサトウキビ栽培を目的として移住してきました。続いて畑作の労働者としてアジア各国から移民が入ってきます。日本からの移民も多く、1920年には、日本人移民(一世)とその子どもたち(二世)は、ハワイ人口の4割を占めるほどになりました。1893年に王国が崩壊しアメリカ領となったころには、ハワイはすでに多様な人種の集まる多文化社会となっており、1900年代に入ると観光産業がさかんになっていきました。
「敵地」が「憧れの地」に
日本とハワイとの関係で忘れてはいけないのは、1941年12月7日(日本時間8日)の、日本軍による真珠湾攻撃です。日米が開戦したため、ハワイの日本人移民たちは日本軍との関係を疑われ、ことに二世たちはアメリカ国籍にもかかわらず、自由な市民生活を送る権利が奪われたと言います。このように、日本人にとって「労働の地」であり「敵地」であったハワイは、戦後まもなく、「憧れの地」へと変化しました。そこにどういった社会的要請があったのかを考えてみることは、学問的にも面白いテーマです。また、ハワイは現在も軍事拠点ですが、日本人観光客が抱くイメージの中では、軍事面が消し去られている点にも注目したいところです。歴史をひもといてみると、日本とハワイの関わりは、観光面以外でも深いことがわかります。それらを知ることは、これからの「観光地ハワイ」と日本との関係を考える上でも非常に意味のあることなのです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。