最澄だけじゃない! 天台宗のスーパースター天海
天台宗は最澄だけじゃない
多くの人が天台宗について知っていることといえば、最澄が開いた宗派であること、比叡山延暦寺を本山寺院としていること、比叡山は織田信長による焼き討ちに遭ったことなどが挙げられるでしょう。しかし、信長による焼き討ち以降のことについてはあまり知られていません。ところが、その後も天台宗は続いていますし、天台宗の寺院もどんどん広がっていきました。仏教の教えで人を救おうとした僧や、天皇家や将軍家と密接に関係を持った僧も多くいます。
江戸時代の天台宗を支えた天海
その中に江戸時代に活躍した天海という僧がいます。天海は、江戸時代以降の天台宗を考える上で最も重要な人物です。天台宗は比叡山の焼き討ちによって、戦国時代までの一つの時代が終わってしまいました。その後、比叡山は復興しますが、僧たちの間でもめごとが起きます。
そのもめごとを収めたのが天海でした。天海はその手腕を認められ、徳川家康に重用されるようになります。以来、天海は関東一帯の天台宗の寺を任されるようになりました。家康を日光東照宮に祀る際にも、天台宗の考え方が取り入れられましたし、日光東照宮は天海および天台宗が管理することになったのです。
天海は謎の多い人物
しかし、天海は謎の多い人物でもあります。なぜ謎が多いかというと、本人が出身や年齢を語らなかったからです。その分、弟子などが推測で書いた伝記がたくさん残っています。しかし、伝記だけでは天海がどういう人物だったか判断できません。そこで手がかりになるのは、天海本人が残した手紙です。手紙からは、天海は徳川家康という大人物と関わっていながら、政治そのものとは一線を画していたことがわかります。また、非常に勉強好きで、たくさんの本を集めていたこともわかります。そのような書物の中には重要文化財になるような史料もあるので、天海の蔵書を研究することは、天海以前の時代の仏教を研究する上でもとても意義深いことなのです。
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先生情報 / 大学情報
大正大学 文学部 歴史学科 准教授 中川 仁喜 先生
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