太平洋戦争の経緯に見る日本外交

太平洋戦争の経緯に見る日本外交

厳しい財政でも開戦

1939年9月、ドイツのポーランド侵攻を発端に第二次世界大戦が始まりました。戦局は次第に拡大・悪化し、1941年12月には、日本がハワイの真珠湾へ奇襲をかけたことから、アメリカ、イギリスなどの連合国と、「三国同盟」と呼ばれた日本、ドイツ、イタリアの枢軸国による太平洋戦争が開戦します。日本はすでに1937年から日中戦争にも突入しており、軍事費が増大していたことから、この開戦には賛否両論ありました。しかし、国債発行などを行うことで戦費を賄い、厳しい財政状況の中でも突き進んだのです。その後、当初は優勢だったものの圧倒的な軍事力を持つ連合国軍を相手に劣勢となっていきます。1945年5月にドイツが無条件降伏し、日本も同年の東京大空襲、沖縄戦ののち8月に広島・長崎へ原爆が投下され、最終的にポツダム宣言を受諾して降伏、敗戦しました。

日米の計算を狂わせたもの

東アジアを勢力圏としたい日本と、この地域の市場や資源の開放を要求するアメリカとの関係は、日中戦争勃発以来険悪になっていました。しかし、この対立は領土の争奪とは違い、武力で決着がつくものではありません。日本はアメリカと戦うつもりはなく、むしろ、自らのアジア支配を承認させようとしていました。一方、アメリカは日本よりもドイツを直接の脅威と考えていました。ところが、日本はアジアで優位に立つためにヨーロッパに嘴(くちばし)を入れ、アメリカはヨーロッパでドイツを抑えるために日本と対決せざるを得なくなります。別々だったはずの東西の対立が連動し、両国は当惑しながら開戦しました。

日本の未来の道しるべに

このように外交史を分析していくことは、当時の為政者の国際情勢認識や、政策をどう進めたのかという日本の意思決定の傾向や背景、誤りを知ることになり、現代の外交に役立てることができます。また、今後新たな資料が出てくることで、今までと異なった視点が加わる可能性もあり、それが日本と世界との将来の関係を考えていく上で重要な道しるべとなるのです。

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先生情報 / 大学情報

久留米大学 法学部 国際政治学科 教授 森 茂樹 先生

久留米大学 法学部 国際政治学科 教授 森 茂樹 先生

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外交史、政治学、国際関係学

先生が目指すSDGs

メッセージ

世界は長い歴史の中で勢力図の変遷を経てきました。現代の日本の政治外交や国際関係を考える上で、歴史の移り変わりを知ることは自らの考えのベースとなり、国際情勢の理解を助けてくれます。また、視野を広げることで、思わぬところで自分のやりたいことを発見できるかもしれません。政治は決して特殊な人が行ってきたものではなく、あなたの日々の生活につながっています。大学の授業や図書館で出会ったことが、あなた自身の見聞や経験と報道などで知る政治や国際問題を結びつけてくれるでしょう。

先生への質問

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93年の歴史と伝統を積み重ねた久留米大学には、文学部・人間健康学部・法学部・経済学部・商学部・医学部の6学部13学科、大学院4研究科そして20の研究所・センターなどがあります。「個性尊重、資格取得、地域貢献、国際感覚の育成、高度情報化への対応」を重視し、多くの優秀な教授陣が学生一人ひとりの能力を伸ばしながら、社会への適応力を育み、ゼミナールを中心とした授業で、教員と学生の触れ合いを大切にしています。文系・医系の両キャンパスに新たに教育・研究棟が完成し教育環境もさらに充実しました。