デモクラシーとファシズムの交錯した時代に生きた人たち
第一次大戦後に生まれたファシズム
第一次世界大戦後から1930年代にかけて、一部の資本主義国で、議会などのデモクラシー(民主主義)的な制度を制限し、国民の自由を抑圧する体制が生まれました。同時に、対外関係においては、「ヴェルサイユ・ワシントン体制」という国際協調の秩序を打ち破ろうとする動きが出てきました。ドイツ、イタリア、日本がそれで、こうした政治のあり方を「ファシズム」と呼んでいます。
「持たざる国」の危機感から、国家総動員体制へ
第一次世界大戦で戦勝国だったはずの日本が、ファシズムに傾倒した理由は何でしょう。まず、日本は英・米・フランスなどの列強と比べると資源や植民地が少なく、「持たざる国」であるという認識がありました。また、ロシア革命を経て強大国化するソ連も脅威でした。さらにこの時期、世界的な経済危機の影響で日本経済が悪化していました。こうした内外の状況を背景に、従来の政党政治を倒して軍部中心の政治を実現し、国外へ進出しようという動きが強まったのです。軍部は中国大陸への膨張を進め、国内では国家総動員体制がつくられていきました。
ファシズムを阻む側から協力者に
暗澹(あんたん)とした時代ではありましたが、日中戦争の開始前までは、こうした流れに歯止めをかけようという動きもありました。特に都市部において、軍国主義やファシズムの拡大を阻もうとする運動があったことが、最近の研究で明らかになっています。そこでは同時に、女性の地位向上や、格差社会の是正をめざす活動も見られました。
ところが、日中戦争が始まり、本格的に国家総動員体制が推し進められると、女性の地位向上や、格差社会の是正を主張した人々が一転して、むしろ積極的に戦争に協力するようになります。これらは、政府の厳しい弾圧による「転向」だとして説明されてきましたが、それは一面的な解釈に過ぎず、説明としては不十分です。デモクラシーの担い手たちがなぜ、積極的に戦争に協力していったのか、今後さらに議論を深めるべき課題だと言えるでしょう。
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