すべての人が生きやすくなる教育のあり方を、教育哲学から考える
教育や人間の根本に迫る
教育学は、さまざまな学問が寄り集まる総合的・学際的な分野です。そのなかで教育哲学は、「教育とは何か」「人間とは何か」を問い、教育の根本を探究します。その際、教育界の常識、当たり前と思われていることを問い直すところから始めたりします。
日本の学校では不登校やいじめといった課題が山積しており、今まさに苦しんでいる児童・生徒もいるでしょう。そうした課題を軽減し、より良い教育や学校のありかたを検討しています。
異年齢でクラス編成すると
例えば、今は同じ年齢別に学年学級をつくるのが当たり前です。そうした同質性の高い状態にすると、成績や素行などを周囲と比較しやすくなります。しかし、それが子ども自身の過度の劣等感や優越感を生んだり、いじめにつながることもあります。
このように同質性の高い学級が当たり前でよいのでしょうか。ドイツのある小学校(基礎学校)では、1年から4年の子どもたちが年間を通じて同じクラスで過ごしています。実社会ほどではないにせよ、異年齢の学校生活が基盤になっているのです。そこでは自主的な学び合いや助け合い、そして互いの違いを認め合う雰囲気が生まれています。日本の学校でもこうした転換が始まりつつあります。
全人教育という考え方
能力のある人が評価される社会、能力主義の社会、それは確かに一面、よいものでしょう。人が家柄などではなく、個人の努力によって評価される公平さがあるからです。
しかし、そこには能力の無い人、能力を失った人を切り捨てる考え方と連動する危うさもあるのです。
教育史をひもとくと、今から100年前、既に人を能力の有無などから一面的にとらえるのではなく、つねにその人を全体として、かけがえのない存在としてとらえ承認する考え方が登場していたことがわかります。全人教育という考え方です。
まだまだ能力主義の勢力は強いものがありますが、全人教育という考え方は幼稚園から大学まで、少しずつ広がりつつあります。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。