一つの町ができる背景にある物語-住民の苦悩や葛藤、自治の歴史
武庫之荘の開発
現在の兵庫県尼崎市にある武庫之荘(むこのそう)住宅地は、それまで農村であったエリアを1930年代に阪急電鉄が開発したものです。開発の過程では、そのエリアで農業を営む小作人が耕作の継続を望んだため、小作地の返還を拒否する激しい争議が生じました。その影響で開発は遅れることになりますが、最終的には公権力が介入することで妥結し、武庫之荘住宅地の建設に至ります。これにより、かつてあった農村的な社会は消滅し、新たな社会関係が形成されることになります。
地域住民組織の役割
阪急電鉄が開発した武庫之荘のまちづくりは、順風満帆に進んだわけではありません。当時の日本では、国や自治体の財源不足などを理由に、上水道やガス、電話といった生活関連のインフラが十分に整備されていませんでした。武庫之荘でも同様の問題に直面していましたが、その解決に大きな役割を果たしたのが、住民を主体とする自治会組織の「武庫之荘文化会」でした。武庫之荘文化会は、比較的富裕な住民層を背景に、住宅地のインフラ整備に向けて、行政やガス事業者などとの交渉を進めました。そして、ときには住民が整備の費用負担を一部行うことで、1950年代中に一通りのインフラ整備を完了させました。現在ではほとんどの自治体でこうした生活関連のインフラは整備されていますが、それらが当たり前のようにもたらされたものではないことを、武庫之荘の歴史が教えてくれます。
地域社会ができるプロセス
しかしながら、良好な住環境が整備される中で、武庫之荘文化会の活動に対する住民の関心は徐々に低下することになります。こうした状況のもとで1995年1月の阪神・淡路大震災を迎え、武庫之荘文化会は解散の危機に瀕しました。
住宅地の開発を契機に農業を離れざるを得なかった小作人。不十分な住環境のもとで生活を送る住民。住宅地のインフラ整備に奔走した自治会組織。このように、地域社会ができるプロセスには、様々な主体の苦悩や葛藤、模索など、実に多くの物語が秘められているのです。
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