移民先で母国を思う心
アメリカに渡ったハンガリー系の人たち
歴史的にみると、人は常に移動しながら生活を営んできました。近代を世界中の人の流れの中で見た時に、一つの大きな流れとしてあるのが、東ヨーロッパや南ヨーロッパからアメリカ大陸への移民です。当時、アメリカ合衆国では重工業が発達して、多くの労働者を求めていました。この頃、東ヨーロッパにオーストリア=ハンガリー二重君主国という国があって、ハンガリー王国側からたくさんの人がアメリカに渡りました。
第一次世界大戦でアメリカが参戦すると、ハンガリーとアメリカは敵国になります。そうすると、アメリカのハンガリー系移民は懸命に自分たちの忠誠心を表してアメリカに溶け込もうとします。第二次世界大戦の時もそうでした。
ところが移民も第三世代を迎えた1960年代、アメリカで黒人の公民権運動がおきます。この運動が移民集団に影響を与え、ハンガリー系の人たちは1970年代から自分たちの文化や言語を復活させて次の世代につなげようとします。そして、さまざまなメッセージを発して母国の政治に関与するようにもなります。
ディアスポラ
ハンガリー系移民の歴史を概観すると、これも一つの「ディアスポラ」の一種なのかもしれません。ディアスポラはもともとユダヤ人の離散を指します。パレスチナあたりの故郷を失い、世界中に散らばったユダヤ人たちが、そのアイデンティティを保ちつつ故郷を回復したり、つながりを保とうとする動きなどを言います。移民も、ある地域から別の地域に行って世界中に散らばっていますが、アイデンティティは変容しつつも保たれています。
ユダヤ人の場合は、第二次世界大戦でのユダヤ人虐殺の時、アメリカのユダヤ系の人たちが亡命者を支援したり、戦後になると戦犯を追及するなど、つながりをもって連携しています。実は、そういうことがほかの移民でも言えます。ディアスポラに注目すると、見えない線でつながっている移民の姿が見えてきます。
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