「宗教」はどのようにして生まれたのでしょう?
縄文時代、死を封じ込めるために行われた屈葬
思春期は「死って何だろう?」と考え始める時期でもあります。そしてこれは、大昔から私たち人間がいやおうなく直面してきた問題でもあります。原始時代、私たちの祖先にとって、死は大変に恐ろしいものでした。縄文時代には、死者の腰や手足を折り曲げて埋葬する「屈葬」が行われましたが、これは、生者に死がとりつかないように、死を封じ込めるためのものだったと考えられています。今のように医学が発達していない頃ですから、感染症が一度発生すると次々と犠牲者が増えていました。この様子から「死がとりつく」という考えが生まれたのでしょう。
昔の人は死を観察した
今、私たちは医師によって死を告げられますが、昔の人たちにとって、死を確認するのは容易なことではありませんでした。例えば鎌倉時代の『九相詩絵巻』では十二単の美女が亡くなり、死体が膨張して腐敗し、白骨になるまでが九場面にわたって描かれています。その人が本当に亡くなったのかどうか、「死」を見届けることが一般的だったので、このような絵巻が描かれたと推測できます。
死を鎮めるために生まれた宗教
死は当時恐ろしいものでしたから、生者にとりつかないようにお祈りする人が生まれました。また、死者と生者を仲介する人も現れます。祈祷師、まじない師、巫女(みこ)などと呼ばれる人たちで、こういう人が登場し、最初の宗教人となっていったのでしょう。死はやがて神としての姿をとるようになります。神は人を助けてもくれますが、死をもたらす存在でもあります。ですから宗教家が神を鎮めなければなりません。このようにして、宗教は生まれたと考えることもできます。私たちの誰もが持つ、死への畏怖(いふ)の気持ちが、宗教を誕生させたのです。また日本の能には、亡霊が登場することが多いのですが、生者は亡霊の話をじっと聞いて、霊が昇天するのを見届けます。死者を鎮めるという点では、能は宗教的な意味合いを持った芸能なのです。
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