日本の近代小説は、自己を肯定するための手段だったかもしれない
道ならぬ恋は、社会や親への反発の証
近代文学においては、「自身とどう向き合うか」が、大きなテーマでした。その中で自分の私生活を物語化することで、自分を肯定しようと試みたのが、武者小路実篤、志賀直哉、里見弴(さとみ・とん)、有島武郎などの、白樺派の作家たちです。理想主義ともいわれる彼らですが、自分の家で働くお手伝いさんと恋に落ち、親から猛反対されるという経験をしています。自分よりも立場の低い女性を恋愛対象に選ぶのは、自信のなさの表れでもありますが、同時に、当時の権威主義的な社会や親にあらがう意思表示でもありました。ただし、そうした恋愛のほとんどは、結婚という形で成就することはなく、破綻して終わるのがもっぱらでした。
自己肯定と自己否定のあいだで揺れる「私小説」
作家が、過去の恋愛をひとつの過ちとして小説に描くのは、読者の共感を得るためでもありますが、自分の人生を振り返り、それが自分にとって必要な経験だったと納得するためでもありました。つまり、白樺派の作家たちは、私的な経験を語りながら、そこに描かれた自分を肯定することで、自己を確立していったのです。こうした表現方法は、その後、「私小説」という分野に引き継がれました。
自分をさらけ出すことで文学となる
私小説で作家が描くのは、誰もがうらやむような優れた自分ではなく、弱く、暗く、ねたみ深いといったダメな自分の姿です。最近は、SNSなどで自分のダメさ加減を嘆く人が少なくありませんが、そうしたものと文学との違いは、どれだけ自分をさらけ出し、客観視して面白く語ってみせるかにあります。例えば、太宰治が『人間失格』の中で描いた、弱く、ずるく、情けない主人公の姿は、太宰自身の姿であり、そんなダメな自分自身を徹底して描くことで、誰もが持つ人間の弱さとして読者の共感を得たのです。このように、自分自身のダメぶりをさらけ出すことで、文学としての魅力が高まり、読み手側も、他人の人生でありながら、その内容に共感できるのです。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。
先生情報 / 大学情報
都留文科大学 文学部 国文学科 教授 古川 裕佳 先生
興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!
国文学、日本文学先生への質問
- 先生の学問へのきっかけは?