文学作品の背景にあった真剣勝負

近代日本で起きた作家の文学論争
文学の研究には、さまざまな方法があります。言い換えれば、文学作品が多様であればあるほど、研究の幅も広くなり、視点も多様になるはずです。作家の思想や背景も重要です。明治維新を経て社会が大きく変わった近代の日本では、現代の教科書に載る文豪たちがたくさん現れました。明治・大正・昭和期に活躍した二人の作家が、芸術性を巡る論争を繰り広げ、その結果が以降の作品にどのような影響を与えたのか、という視点を取り上げてみましょう。
作家たちの真剣勝負
『羅生門』などで知られる芥川龍之介は、1927(昭和2)年、大学の先輩にあたる谷崎潤一郎に対して、雑誌「改造」の文芸評論で批評を展開しています。小説とはストーリーの面白さが重要なのか、それとも詩的な感性が重要なのかといった議論が根本にありました。その上で芥川は、谷崎は処女作とされる小説『刺青』では詩人だったが、中期のヒット作品『愛すればこそ』(戯曲)では不幸にして詩人と言えない、詩人の道に帰るべきだ、と言ったのです。これに対し、谷崎はストーリーを重視する姿勢で論争に臨みました。現在もこの二人の文学論争は近代文学史に刻印されています。
人間ドラマが作品をより魅力的に
しかし、精神を病んでいた芥川は論争の途中で自死してしまいます。反自然文学という立場で共鳴するところのあった後輩作家からの真剣きわまるメッセージを、谷崎はどのように受け止めたのでしょうか。谷崎は芥川の論を肯定したわけではないにしても、その後の作品『吉野葛』は、芥川の批判に影響を受けた作品と考えられます。二人とも文章や一語一語への洗練されたこだわりがあり、海外の文学や古典文学への造詣が深く、そうした教養を自分の作品に昇華していました。互いに認め合っていた時期を経ての論争だけに、変化の中で生まれた対立も際立ったと言えます。こうした作家同士の人間的なつながりやドラマを研究すると、すでに価値を認められた作家や作品の魅力が、さらに深まるのです。
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