聖母マリアにはさまざまな顔がある? フランスにおけるマリア崇敬
ノートルダム大聖堂は1つではない
2019年4月に起きたパリのノートルダム大聖堂の火災は、フランスだけでなく世界中に深い悲しみを与えました。ノートルダム大聖堂は精神的にもフランスの中心となってきた建造物で、もともとパリの街はノートルダムのあるシテ島を中心に広がっていきました。「ノートルダム」とは「われらの貴婦人」、つまり聖母マリアを意味します。12~13世紀はマリア信心が深まり発展する時期で、それはちょうど北フランスを中心にゴシック建築が花開く時代と重なっています。シャルトル、ランス、アミアン、ストラスブールなどフランス各地に、マリアに捧げられたノートルダム大聖堂が次々と建設されていきました。
相次いだマリアの出現
フランスでは中世から聖母マリアが特別な信心の対象となり、各時代、各地でマリアの「出現」が起こってきたとされています。とくに大革命後、19世紀のフランスはコレラの流行、七月革命、二月革命など、暴動や災厄に見舞われ、社会的混乱のさなか、マリアが修道女や子どもたちの前に現れ、メッセージを伝えたとされているのです。バルザックやユゴーの時代のことですが、1830年にパリで、1846年にラ・サレットで、1858年にはルルドで「出現」し、現在も多くの信者が集う巡礼地になっています。
地方色豊かなマリア像
聖母の図像には、マリアの生涯を題材にしたもののほか、玉座の聖母、ピエタ、無原罪のマリアなど、さまざまな型があります。各地の教会を訪ね歩くと、マリアのどの側面がその土地で特に大切にされてきたかや、土地ごとの表現の違いが見えてきます。シャルトルのステンドグラスの聖母は褐色の肌で大地母神のようですし、オータンの柱頭彫刻では、エジプト逃避の緊迫した場面でありながら、丸顔のマリアは完全な信頼と平安のうちに、穏やかな表情を見せています。このようにマリア像だけに注目しても、時代ごと、地方ごとの多様性が見てとれます。フランス文化を読み解く際にも、こうした宗教的基盤を知ることが鍵になるのです。
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先生情報 / 大学情報
東京都立大学 人文社会学部 フランス語圏文化論 准教授 大須賀 沙織 先生
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