人の移動が東アジア共同体を形成する
東アジア共同体とは
1990年、マレーシアのマハティール首相(当時)がEC(当時)やNAFTAに対抗して「東アジア経済グループ(EAEG)」(後に「東アジア経済協議体(EAEC)」)を提唱しました。
実は歴史的には、「大東亜共栄圏」という同様の地域共同体構想がありました。これは1930年代から1940年代にかけて、日本が東アジア地域に拡大していこうという構想で、地域は日本のほかに中国、朝鮮、そして東南アジアの国々が含まれていました。
制度的には問題山積みだが
東アジア共同体の構想は、そもそも「東アジア」とはどこからどこまでを言うのかという範囲の問題があります。そして共同体のメンバーとなる国はどこかという問題も議論されています。ASEANに日中韓の3カ国を加えるのか、いや、それにさらにインド、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国を加えるのか、はたまたアメリカやロシアまでがメンバーであるAPECの国々にするのか、それぞれの国の思惑がからみ、なかなか結論が出ません。さらに、東アジア共同体の特質は何かという問題もあります。このように、制度としてはまだ形になっているとは言えませんが、実態はその方向に向かいつつあります。鍵になるのは「人の移動」です。
人の越境に付随して移動する文化
東アジアの航空路線図を見てみると、マハティール氏が東アジア経済グループを提唱したころに比べて、格段に網の目が細かく張り巡らされています。これだけ路線が多く行きかうようになると、人が移動するというだけでなく、それにともなっていろいろなものが付随して交流するようになります。
「共同体」と言えるためには、社会的文化的実体が存在するかが条件になりますが、日本の漫画やアニメはその象徴です。また、韓流ブームは日本でだけ起きているのではなく、香港でも起きています。
見方を変えれば、東アジア共同体は今出現しているのではないかとも言えるのです。この動きはこれからも進んでいくでしょう。
参考資料
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