ベケットの傑作『ゴドーを待ちながら』が私たちに問うているもの
観客が怒り当惑した演劇
『ゴドーを待ちながら』という戯曲(サミュエル・ベケット作、1953年初演)は、二人のホームレスがひたすら「ゴドー」という人物を待っているだけというユニークな作品です。二人はゴドーを待っている間、暇つぶしのような会話を繰り返します。途中でポッツォとラッキーという二人組の男がやってきますが、状況を変えることなく去っていきます。少年が現れ、「ゴドーさんは、今日は来られません。明日は来ます」という伝言を残します。2幕目もほぼ同じような筋です。ゴドーはいっこうに来そうもなく、あまりに退屈なので二人は首をつろうとしますが、うまくいきません。「何も起こらない、それが2度(2幕)」と評され、初演時には怒りと当惑をもって受け止められました。
「ゴドーは誰?」という問い
二人が待つ「ゴドー」とはいったい誰なのでしょうか。ゴドーのつづり「Godot」が「God」に似ていることから、当初からゴドーは神ではないかという解釈がありました。ゴドーが来ないということは、「神が人間を見放している」ことを表しているという見方です。
また、ゴドーを「死」だと考える人もいます。「生きるということは、死がやってくるまでの気晴らしに過ぎない」という死生観を表しているという解釈です。20世紀の重要な思想に「人間が存在しているとはどういうことか」を考える実存主義がありますが、それを背景にこの作品が生まれたと考えると、この解釈も妥当なように思われます。
一つに決められない「ゴドー」
しかし、どれか一つに決めた瞬間、「それだけではないのではないか」という思いもわき上がってくるのがこの作品です。私たちは何かの芸術作品を目の前にしたとき、その意味を見出そうとする「癖」があります。「ゴドー」はその癖を私たちの目の前に突きつける装置のようなものだとも考えられます。
『ゴドーを待ちながら』は、人間が意味を求める行為そのものを問い直しているのかもしれません。
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