人骨が語る過去の暴力 戦争はいつ生まれたのか

骨に刻まれた暴力の痕跡
現代は、世界中で戦争・紛争といった暴力が絶えません。では、縄文時代や弥生時代はどうだったのでしょうか。文字も記録もない時代の真実を知る手がかりとなるのが、人骨に残された傷です。考古学と形質人類学の手法を用いて、全国の遺跡から出土した人骨を調査し、暴力の実態を解明する研究が進められています。
人骨の表面には、武器によってつけられた傷が残っていることがあります。傷の色や割れ方から、それが生前についたものか死後についたものかを判断して、どのような暴力なのかを見極めます。
弥生時代に激化した集団的暴力
全国の約3千体の縄文時代の人骨を調査した結果、暴力の痕跡がある人骨は各地にバラバラと1~2人程度しか見つからず、個人間の争いはあっても、集団を巻き込むような戦争はなかったと考えられます。
ところが弥生時代になると、近畿地方や北部九州で、暴力痕のある人骨が集中して見つかる地域が出現します。武器だと推測される矢尻が刺さったままの人骨もあります。統計的に見ても明らかにそれまでとは異なる数値であり、集団的な暴力、つまり戦争と呼べるものが始まったと言えます。教科書で習う「弥生時代から戦争が始まった」という記述が、人骨という物的証拠によって裏付けられたのです。
暴力を生んだ複合的な要因
九州北部で、約8千例の棺おけを分析して人口動態を推定した結果、人口増加による資源不足と暴力の増加が連動していることが明らかになりました。しかし、人口圧が最も高まった時期と暴力のピークは完全には一致せず、格差の拡大や定住によるテリトリー意識の高まりなど、複数の要因が重なり合って暴力が引き起こされたと考えられます。
戦争は複合的な要因で起こりますが、逆に言えば、どれか一つの要因を取り除けば防げる可能性もあります。暴力は人が起こすものだからこそ、人が止められるはずです。
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