中世の「徳政令」から見えてくる戦国社会の実像
中世の徳政令とは?
「徳政令」というと、教科書で鎌倉時代の「永仁(えいにん)の徳政令」や室町時代の「徳政一揆」の話を聞いたことがあるでしょう。鎌倉時代から室町、戦国時代にかけて、当時の幕府や各地の大名などが、金融業を営む土倉(どそう)や蔵本(くらもと)、銭主(せんしゅ)などに対し、借金を帳消しにするように命じて困窮する御家人や農民たちを救済しようとした法令です。2017年のNHKの大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも、今川氏の徳政令をめぐる井伊谷(いいのや)地域の情勢が描かれています。中世社会の特質の一つと言ってもよい徳政令を通じて、現代の私たちとは異なる中世の人たちのものの見方や考え方、当時の社会情勢などが見えてきます。
善政も強く意識した戦国大名
戦国時代に各地に君臨していた戦国大名は、それぞれの領国を自らの実力で支配していました。とはいえ、戦国大名のイメージから想起される、上からの武力で押さえつけて支配するやり方ばかりではなく、領民を慈しむような善政を行うことで、領民からの支持を広くとりつけることも重視していました。徳政とは本来「善い政治」という意味ですが、災害や飢饉、戦争時などに「徳政令」を出すことも、戦国大名が領民に対して行う「善政」の一つでした。
徳政令から見える商業流通の発達と村・町の成長
戦国時代の徳政令で興味深いのは、戦国大名が租税を集める蔵の経営に土倉、蔵本、銭主などの商業流通のプロたちも関わっていて、徳政令の対象にならないように保護されていることです。それだけ商業流通に関わる人たちの社会的な影響力が大きかったことを物語っています。彼らのような存在は歴史の表舞台にはなかなか現れてきませんが、中には村や町の自立や自治を支える人たちもいました。
戦国時代というと、全国各地で戦国大名というご当地ヒーローが生まれた時代として親しまれていますが、実は私たちの身近な地域が歴史の表舞台に姿を現しはじめる時代でもあることを知ると、そこから学べることの大切さが見えてくるのです。
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福島大学 行政政策学類 教授 阿部 浩一 先生
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