体験と言葉を読み解く現象学で、「現実」をたどりなおす

見えてないのに見ている?
哲学は私たちの生きる日常や現実を問いなおす営みです。私たちが何をどう体験し、どう意識しているかという観点からその哲学に取り組むのが現象学です。
私たちがマグカップを見るとき、実際に見えているのは常にマグカップのこちらを向いた側だけで、それ以外の部分は見えていません。ドアの向こうに廊下があると思っていますが、ドアが閉じていればドアの向こうは見えません。私たちは見えるものがリアルだと考えがちですが、私たちの体験そのものに即して見ると、私たちを取りまく現実は、実際には見えていないもののほうが圧倒的に多いのです。
何気ない言葉にも認識・体験がある
見えていないにもかかわらず、そこに確かにあると思えるのは、経験や習慣に基づく意識の働きです。そう考えてみると、私たちが「現実」と呼んでいるものは、そうした意識の働きが複雑に絡み合ってかたちづくられているということに気がつきます。
そこにかたちづくられる現実の姿は、何気なく使われる言葉のうちにも見え隠れします。「親ガチャ」という言葉がありますが、「ガチャ」という言葉、隠喩(メタファー)に、それを使う人たちの体験や経験、彼らの生きている現実が垣間見えます。何気ない言葉づかいや行動のうちにも、現実を読み解く哲学と現象学のヒントがあるのです。
現実を「生きなおす」
私たちがそのなかを生きている現実は、私たちの意識と体験がつくりあげているものであるということ、そしてそれがどのようにつくられているのかを現象学は明らかにしようとします。それは、私たちの何気ない言動のなかに、さまざまな決めつけや固定概念があることに気づかせてくれるかもしれません。現象学を通じて自分の思考を読み解くことは、自分と世界とを見つめなおし、いわば「生きなおす」チャンスにもなりうるのです。
当たり前を当たり前としているだけでは見えてこないもの、それらを一つひとつひも解くことで、人間のありようやユニークさが見えてきます。
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先生情報 / 大学情報

岩手大学 教育学部 学校教育教員養成課程 社会科教育 准教授 佐藤 駿 先生
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