日本の鎖国を終わらせたのは、まさかの「誤訳」だった

黒船来航の衝撃と開国の経緯
江戸幕府は外国との交易や往来を制限する鎖国政策を取り、唯一の貿易地の長崎で、中国とオランダとのみ貿易を行っていました。およそ200年におよぶ鎖国を終わらせたのがペリーの来航です。ペリーは1853年にアメリカ合衆国海軍東インド艦隊4隻を率いて江戸湾に現れ、日本に開国を迫りました。彼は翌1854年に再び来航し、交渉の末に日米和親条約が締結されます。この時、江戸幕府は準備不足のままアメリカとの交渉に臨んでしまい、誤訳をベースに日米和親条約を結ぶという致命的なミスを犯しました。幕府は開国するつもりはなかったのに、誤訳が原因でアメリカ領事の駐在を認めてしまい、結果的に開国の流れを生み出してしまったのです。
誤訳からはじまった開国
当時の日本は海外との交流を制限していたため英語を話せず、交渉はオランダ語を介して行われました。条約も日本語と英語、オランダ語と漢文の4種類の文書が作られています。日米和親条約では正文(正式な条約文)を何語にするかの交渉が行われず、加えてアメリカが下田に領事を置く条件を記した第十一条の内容が、英語と日本語の翻訳では異なりました。英語では「どちらかが必要とした時に(either of)」とある箇所を、日本語訳では「両政府が必要と認めた場合」とする重大な誤訳がありました。その後、領事が下田に来航して幕府は慌て、さらに日米修好通商条約という不平等な条約も結ばされてしまうのです。
歴史に埋もれた人間ドラマ
日本史の教科書では一行で済まされてしまうような記述の裏には膨大な人間ドラマが隠されており、深く掘り下げれば、教科書からはこぼれ落ちてしまうような歴史や人々の営みが見えてきます。研究を行う上で、資料の原文に当たるプロセスはとても重要です。教科書にも載っている有名な鎖国令も、実はその原文の中では「鎖国」という言葉は一度も使われていません。古文書などの原文までさかのぼって丁寧に読み込む作業から、新しい研究は始まるのです。
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