近世の「妖怪」「化けもの」は、どう記録されてきた?

「怪異」は怖い?
火の玉が飛んだ、馬がしゃべった、仏像が涙を流した、といった「怪異」は、昔の人々の身近に起きた怪しく不思議な現象です。現代の教科書には記載されるものではありませんが、実は数多くの文献に記録されてきた実際の事件なのです。その文章や絵を分析すると、時代とともに怪異のとらえ方が変化してきたことがわかります。
古代に編さんされた『日本書紀』をはじめ、怪異は、悪政に対する警告や政治的な「凶兆(不吉な前触れ)」として国家が判断し、対処していたことが記されています。江戸時代~明治維新の文献からは、人々が恐れるだけでなく「怖いもの見たさ」から怪異を楽しむようになり、お化け屋敷や怪談集が流行したことがわかります。
近世ではかっぱは「獣」
江戸時代には、中国から伝来した儒教の一学派・朱子学や本草学(薬物学)が盛んになりました。学者たちは最先端の知識や科学に照らして、怪異とは何かを考えて自説を唱えたのです。例えば、朱子学者の林羅山(らざん)は、難産によって死んだ女性が変じた妖怪「産女(うぶめ)」について、中国に伝わる毒鳥「姑獲鳥(こかくちょう)」と同じとする説を発表しました。本草学者の貝原益軒(えきけん)は、自著『大和本草(やまとほんぞう)』の中でかっぱを「獣類」の一つに分類しています。そして、日本独特の解釈から「化けもの」を「生きもの」と考える傾向が見られました。
「怪異」から日常を見る
本来、怪異はただの現象にすぎません。その現象を、人が「怪しい」「正体が知れない」と認識することで初めて、それが「怪異」として成立します。つまり、怪異をつくるのはあくまで人です。各時代において人が「常ならざるもの」をどのようにとらえて、どう記録してきたのかを研究する学問が「怪異学」です。怪異の記録をひも解くことで、過去に生きた人たちが当たり前に共有していた「常識」や暮らしが、逆に浮き彫りになってきます。怪異学は怪異の真偽を追究するのではなく、怪異のとらえ方を介して人の営みを知る歴史学なのです。
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