作者の周到な計算を知ればさらに楽しい『ごんぎつね』
今読み返せば新発見もある
『ごんぎつね』は小学校の国語でよく扱う児童文学作品ですが、子どもの頃から年月も経過し、記憶が鮮明でない人も多いのではないでしょうか。ごんが銃で撃たれる最後の場面(大段落6)をわずかに覚えている程度、という声もしばしば聞かれます。しかし、今読み返せば、作者の周到な計算が見えてきて、子どもの頃にはわからなかった面白さに気づくこともあるはずです。
いわしを投げる場面に見る作者の周到な計算
例えば、大段落3にある、ごんが村人の兵十の家の裏口からいわしを投げ込む場面です。大段落1で兵十が獲ったふなをいたずらで川に投げ込んだごんは、ふなの次にうなぎもつかみ出しているのですが、大段落2で兵十の母の死を知り、母に食べさせるはずのうなぎを自分が台無しにしたと思い込んで、大段落3で償いをはじめます。その第一弾が、いわし売りから盗んだいわしを兵十の家に投げ込む行為です。ちなみに、第二弾は、山で拾ってきたくりをそっと物置の入口に置く行為です。ふな→いわし→くり、あるいは、投げる→投げる→置く、このように構成した作者の周到な計算を知れば、ごんの変化をより理解しやすくなります。
魚を投げる点では、ふなを投げるのも、いわしを投げるのも、同じです。前者がごんの荒れた心を表現しているとすれば、後者にも荒れたイメージの残存が認められます。償いのつもりでも、いきなり変われるものではありません。きつねと最も縁遠いはずのいわしも、まだ不慣れな償いの象徴としてぴったりです。いわしを投げる場面がふなを投げる場面とくりを置く場面の間にあることの意味を、よく考える必要があります。
ほかにもある周到な計算
周到な計算としては、こんなのもあります。大段落1にはジメジメ・ヌルヌルした印象の描写が多く、ごんが反省へと至る大段落2以降、そうしたマイナスイメージの描写は見られなくなってきます。これも、ごんの変化と絡めて読めるところです。
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愛知教育大学 教育学部 人文社会科学系 国語教育講座 教授 田口 尚幸 先生
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