山部赤人はなぜ歌聖か
想像を絶する周到さで言葉を組み立てた山部赤人
『広辞苑』で「歌聖」と引くと、「和歌に最もすぐれた人。歌のひじり。柿本人麻呂・山部赤人などにいう」とあります。赤人の代表作「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」は、小異を生じながら『百人一首』にも採られ、あまりにも有名です。けれど、『万葉集』いや古典文学を代表する歌の割には、そのすばらしさは真に理解されていませんし、実は秀歌なのに有名でない赤人の歌もあります。ここでとりあげる春日野歌などが典型ですが、本当は、富士讃歌も、春日野歌も、精読さえすれば、想像を絶する周到さで組み立てられていることがわかるはずです。
光学顕微鏡から電子顕微鏡に替えるくらいの精読を
日本文学あるいは国文学に限らず、文学研究とは、その説があることでさらに理解が深まるものでなければなりません。春日野歌の場合は、従来、類想的な点に注目が集まっていました。しかし、類想的な言葉を用いつつも、その組み立て方に工夫を凝らした点に気づかなければ、せっかくの歌聖の秀歌が浮かばれません。精読が必要不可欠です。
空気遠近法的表現で徐々に焦点化していく春日野歌
具体的に説明すると、長歌と反歌(長歌に詠み添える短歌)から成る春日野歌の、その長歌には、遠くのものほど霞むという空気遠近法的表現が駆使されています。また、長歌は空間の表現から感情の表現へと進展しますが、感情表現においても、空間表現で用いられた、漠然→明確および全体→部分といった焦点化=絞り込みが継続して見られます。加えて長歌では、主旋律的な空間表現と並行するかたちで、時間表現が副旋律的に機能しているのです。想像を絶する周到さ、と言うほかありません。
同様な周到さは反歌にも見られ、一言で言えば、反歌は長歌の弱点を補っています。
山部赤人はなぜ歌聖か。以上はその理由の一端でしかありません。
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愛知教育大学 教育学部 人文社会科学系 国語教育講座 教授 田口 尚幸 先生
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