「日本の」文化や芸術は、どのようにして誕生したのか?
「日本の」文化・芸術は意図的に作られた?
もし、世界にあなた一人しかいなければ、服装や髪型に気を使わないでしょう。私たちは、他者がいることによって、自分という存在を意識するのです。よく、「日本の文化・芸術」という言い方をしますが、あえて「日本の」と付けるのは「日本以外の」国と比較しているということです。
かつての日本にはこのような概念はなく、江戸時代の終わりに開国した時、初めて世界という他者の存在を強く意識するようになりました。そして、日本の存在を他国にアピールし、日本人としてのアイデンティティを明確にする役割を文化・芸術に求めたのです。現在、日本独自とされている伝統文化の多くは、実は明治期に意図的に選ばれたものだと言えます。
日本の伝統文化とは何だろう
日本の伝統文化を発見・発掘し、定義した人に福沢諭吉がいます。彼は欧米での経験をもとに、外国人が好みそうなもの、日本独自のものを取捨選択しました。欧米諸国に日本を認めてもらうことは、自国の発展や利益にもつながるため、中国や朝鮮などと混同されない「日本にしかないもの」が必要だったのです。そして、「茶道」「能楽」「陶器」「漆器」「相撲」「柔術」「弓術」「大工左官」などが日本の文化を代表するものとして選ばれ、海外に発信されるとともに、国内の多くの美術品や工芸品が海外へと渡っていきました。このように文化や芸術は、時代の情勢や海外との関係性とも深く関わっているのです。
日本文化の未来のために
現在、日本の文化と呼ばれるものは、職人の高齢化や後継者不足などで、ことごとく存続が危ぶまれています。伝統文化を失うことは、日本や日本人であるための「よりどころ」を失うことでもあります。その転換点に、いま私たちは立っているのです。近年、若い世代が伝統を継承しながらも、新たな感性で創作活動に取り組み、海外で「日本の」文化を発信する動きも生まれています。日本文化の未来のために、自国の文化を深く理解し、日本を発信することのできる人材への期待が高まっているのです。
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京都女子大学 家政学部 生活造形学科 教授 前﨑 信也 先生
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