文字を持たない文化に生じる問題とは? ~タイの少数民族の場合~

文字を持たない文化に生じる問題とは? ~タイの少数民族の場合~

固有の文字を持たないリスの人々

タイ北部の山岳地帯に住むリスという少数民族がいます。彼らはリス語という独自の言語を用いていますが、現時点で民族全体で共有する文字はありません。話し言葉としてのリス語は残っているので、都市部に長く住んでいる子どもでもない限り、リス語を話すことはできます。ただ、政治などの複雑な話をする場合には、タイ語をまぜて表現します。そのため、口頭での言語環境には大きな問題は生じていませんが、リス語を書き記すとなると話は別です。

伝統文化を継承するための正書法の必要性

文字がなければ、口承文芸、儀礼句などを記録することができません。音声の体系が異なるタイ語の文字では正確に記述できないため、このままでは将来的に伝統文化が継承されずに消滅するおそれがあります。ただし、キリスト教徒の間のみで使われているリス文字(フレイザー文字)は存在します。20世紀初頭にスコットランドから来た宣教師がつくったものです。現在、このフレイザー文字をキリスト教徒だけでなく、リス全体の正書法として普及させる試みが始まっています。

正書法を広めるための3つの障壁

しかし、そこには3つの障壁があります。第1の障壁は心理的反発です。宣教師らは、リスがもともと祀っていた神を悪魔として断罪しながら改宗を説いたため、強く反発した人々もいました。リス文字を民族全体に広めるためには、強引な布教に関する負の記憶を持つ人々とも話し合う必要があります。第2の障壁は正書システムとしての難しさです。フレイザー文字は言語学者がつくったわけではないため、非常に習得の難しいシステムを採用してしまいました。したがって非キリスト教徒からすると、使用時のハードルが高いのです。第3の障壁は普及にかかる費用です。リス語の教師を雇う、学校を建てる、教材をつくるなど、あらゆる面で費用がかさみます。どれもすぐに解決する問題ではないので、時間をかけて地道に取り組んでいかなければなりません。人類学的な知見が、この時の潤滑油になることが期待されます。

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東京都立大学 人文社会学部 人間社会学科 社会人類学教室 教授 綾部 真雄 先生

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メッセージ

社会人類学とは、世界各地の人々の価値や行動の探求を通じ、人間のあり方を見つめ直すための学問です。中心的な方法論であるフィールドワークでは、自分自身が現場の変化に関わる当事者になることも少なくなく、きっと大きな刺激をうけるでしょう。他者の文化について、「変わっている」などの感想だけで終わらせず、経験したことを「のぞき窓」にして人間存在の本質を考えてみましょう。ひとりの人間として世界とどう対峙(たいじ)するかのヒントがそこにあるはずです。おそれずに門戸をたたいてみてください。

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