野蛮な脇役から歴史の主役へ 遊牧民のイメージはなぜ変わった?

野蛮な脇役から歴史の主役へ 遊牧民のイメージはなぜ変わった?

遊牧民は野蛮?

中国史上の遊牧民は従来「中国に攻め込んで暴れ回る野蛮な存在」ととらえられてきましたが、この20年ほどの間に、遊牧民に対する見方は根本的に変わっています。
これまでの遊牧民像は、中華思想という「中国が世界の中心で、最も価値がある」という考え方に基づいて作られたものです。しかし、近年の中国の経済発展に伴う開発によって遊牧民の墓などから続々と新史料が見つかり、従来のイメージとは全く異なる遊牧民の実像が明らかになっています。

唐の軍事力拡大に貢献

遊牧民は中国史において重要な役割を果たしました。特に、中国史上でも屈指の大国を築いた唐代、遊牧民の軍事力は国の発展に大きく貢献していました。
遊牧民は馬に乗って家畜を管理し、狩りでは馬で走りながら弓を射ます。つまり、生活そのものが騎馬と弓術の技術を高める軍事訓練であり、それがそのまま遊牧民の軍事力の源泉になっていたのです。
中には中国で将軍や政治家として成功する人もいましたが、多くは自分たちを中国人と位置づけてはおらず、雇い兵のような立場で必要に応じて軍事活動に参加していました。それが結果的に、遊牧民の軍事力が唐の300年近い繁栄を支える主力となったのです。

遊牧民から見た歴史

また、文化面でも遊牧民の影響は見られます。例えば唐代の詩人の白居易は、遊牧民の移動式の家「ゲル」を自宅の庭に建てて愛用しており、詩にも書いています。それを見れば当時の知識人の間で遊牧文化が流行していた可能性が考えられます。一方でこの時代は中国の国粋主義が徐々に高まった時期でもあったことから、大っぴらに遊牧文化を楽しんだわけでもなかったでしょうし、軍事面においても遊牧民の重要性が強調されたわけではなかったのです。
しかし、新史料の発見によって遊牧民の視点から歴史をとらえなおすことが可能になり、遊牧民は脇役ではなく、中国史や世界史の主役級の存在だったことが明らかになってきました。このように、歴史は多角的にとらえることで全く異なる見方ができるのです。

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帝京大学 文学部 史学科 講師 齊藤 茂雄 先生

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メッセージ

歴史学の魅力は、いろいろな見方ができることです。円錐(すい)は真上から見ると円に、横から見ると三角に見えますが、実際は円でも三角でもなく円錐です。同様に、物事は見る角度によって全く違って見えます。世の中は白黒つくことばかりではなく、複数の正解がある場合もありますが、それが人間らしさだと言えるでしょう。歴史はそんな人間によって形作られるものなので、やはり答えは一つではありません。それらを個々に見ていくことで、立体的な歴史の実像に近づくことができると考えています。

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