中国の伝統農業に見る災害への対応

30年にわたる食糧計画
災害に悩まされるのは、昔も今もどこの国でも同じことです。
中国の歴代王朝の災害への備えは、「穀物の備蓄」でした。「3年の蓄えがなければ国ではない」「3年耕せば1年分の食が余る」という考えのもと、最終的には「30年にわたり計画すれば、干ばつや水害が発生しても民がやせ衰えることはない」と備蓄を推進しました。実際に、それらを納める隋から唐の時代の巨大穀物倉庫の遺跡群が見つかっています。城壁にかこまれた空間には400基の穴蔵があり、粟(あわ)・稲・大豆などの穀物3,000トンが納められていた穴蔵もありました。備蓄を整えておくことは、国家の務めでもあったのです。
日常食だからこその非常食
ただし、災害が起こる度に穀物は育たず貯蔵は減ります。穀物倉庫だけで食糧難を脱することは、不可能でした。田畑も耕せなくなるため、国家は農民が村を捨てて沼地や山に移動することを認めました。彼らは、クワイやヒシの実などの野生生物を採種して命をつなぎました。
これができたのは、日常的に野生植物を採種していたからです。もともと備蓄となる穀物は、農民が租税として納めたもので、彼らの手元にあまり残りません。そこで租税の対象外の農作物の他、野生植物も食糧元となりました。災害時にもその知識や調理方法が生かされたので、農民にとって野生植物は日常食であり非常食でもあったのです。
備蓄と栽培で
時代が進むにつれて、国家も備蓄だけでは災害に備えられないと考えるようになりました。13世紀の元の時代には、飢饉対策作物の栽培を勧める『王禎農書』が、15世紀の明の時代のはじめには、野生植物の知識をまとめた『救荒本草』が書かれました。これら2冊は、17世紀の明の終わりに『農政全書』としてまとめられました。為政者の政策と農民の知恵が、中国の災害への意識を高めていきました。
日本では江戸時代に災害に備えて農業に関する書物が多く出されましたが、『農政全書』の影響を大いに受けています。
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上智大学 文学部 史学科 准教授 大川 裕子 先生
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