忠犬ハチ公から考える歴史学

秋田犬ハチの生涯
東京都渋谷駅の「忠犬ハチ公像」のモデルとなった秋田犬のハチは、1923年に秋田県で生まれ、翌年に渋谷に住んでいた東京帝国大学農学部教授の上野英三郎氏に飼われました。1925年に上野氏が急逝した後は別の家に預けられましたが、その後もハチは渋谷駅に出向いていました。その様子が新聞に取り上げられ、ハチは渋谷駅で帰らぬ主人を待つ「忠犬」として一躍人気者になりました。銅像が作られ、修身(現在の道徳)の教科書の教材にもなったハチは1935年に病死し、今は剥製として国立科学博物館に保存されています。
本当に忠犬だった?
ハチはしばしば「忠犬」として語られますが、それは事実でしょうか。
渋谷駅には屋台があり、ハチはその主人に可愛がられ、残飯などを食べに行っていた、というハチを知る人の回想があります。また、上野氏は渋谷駅から現在の駒場東大前駅まで京王井の頭線に乗って通勤していたというイメージもありますが、井の頭線が開通したのは上野氏の死後の1933年です。もちろん上野氏が渋谷駅に出向くことはあったでしょうが、勤務先の大学までは徒歩で行っていたのではないかと考えられます。
ハチがなぜ渋谷駅に出没していたかはわかりません。しかし、史料や事実を照らし合わせると、「主人の帰りを待つ」という忠犬のイメージの根拠は弱いと言わざるを得ません。
「事実」とは何か―歴史学の方法と役割
では、なぜハチは「忠犬ハチ公」になったのでしょうか。この時期は、1931年の満州事変に象徴される戦争の時代でした。「忠君愛国」が演出され、賞賛される風潮の中で、「忠犬ハチ公」はそれとぴったり重なり合いました。
つくられたイメージは、いつしか疑いのない「常識」となることがあります。それらを検証するために関連する史料を読み込み、多角的に検討することで、事実とは何かを知ろうとするのが歴史学の役割の一つです。その意味で歴史学は実用的な学問であり、まさに現在、そうした検証の「方法」が求められているのではないでしょうか。
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