戦後のイギリス外交戦略から学べるもの
戦後のイギリスの外交原則
かつての大国、イギリス帝国は、第二次世界大戦で戦勝国側ではあったものの、大きく国力が落ちました。さらにアメリカの超大国化、そしてソ連を中心とした社会主義国の台頭による冷戦の開始という国際情勢の変化がありました。それらを背景に、イギリスはチャーチルが提唱した「3つのサークル」という構想を外交原則としました。これはイギリス帝国と英連邦という第一のサークル、英語圏(特にアメリカ)という第二のサークル、そして統合ヨーロッパという第三のサークルの交差するところにイギリスがあり、イギリスはどのサークルからも出てはいけないという考えです。それによって、イギリスの国際的影響力維持と西側諸国の結束を達成しようとしたのです。
「米欧間の架け橋」へ
しかし、イギリスの植民地が次々に独立して帝国が縮小し、ベトナム戦争への派兵を拒否してアメリカとの関係がぎくしゃくするなどし、この構想は少しずつ揺らいでいきました。さらにイギリスは1973年にEUの前身であるECに加盟しますが、中心国であるフランスや西ドイツとなかなか足並みをそろえることはありませんでした。
その後、イギリス帝国を受け継いだ英連邦の結束力も低下すると、3つのサークルは対米関係とヨーロッパとの関係の二本柱に収縮していきました。1997年から2007年まで政権を握っていたブレア労働党政権は、「米欧間の架け橋」をめざすという方針を打ち出していました。
イギリス外交の将来
このように、イギリスの戦後外交史を大きく見ると、チャーチルの3つのサークルからブレアの架け橋構想へと変化していますが、共通するのは、いずれも複数の関係性が交差する位置に自らを置くことで、単独では行使できない影響力を確保しようとした点です。
近年ではインドや中国に接近を試みたり、EU離脱を踏まえ、将来へ向けて新たなサークルが模索されているとも考えられます。これがどう転ぶかは未知数ですが、国際政治を考える上で非常に興味深いテーマです。
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