日本で学び母国で漫画を広めた、東アジアの二人の「漫画の父」

近代漫画の草分けは?
「漫画」という言葉は江戸時代からありましたが、当時の「漫画」はストーリーを持つ現代の漫画とは異なり、人々が見たことがない事象を絵で紹介するという一つの表現方法でした。現代の漫画の源流は明治期にあり、今泉一瓢が海外の「カートゥーン」という言葉を漫画と訳したことが始まりです。初期に活躍したのは、岡本太郎の父・岡本一平のように美術学校で本格的に絵画を学んだ人々でした。彼らは新聞や雑誌に挿絵を描く仕事を通して「漫画家」という職業を確立していったのです。
中国の「漫画の父」
アジアでいち早く近代化を成し遂げた日本には、当時、アジア各地から留学生が集まっていました。美術学校においても多くの留学生が西洋美術を学んでいましたが、その一人が中国人の豊子愷(ほうしがい)でした。彼は源氏物語の翻訳者としても知られる著名な知識人で、帰国後に竹久夢二に影響を受けた画風の漫画作品を発表し、中国の漫画の父と呼ばれる存在になりました。
謎の漫画家「北宏二」の正体
一方、豊子愷よりも後の時代に、同じように日本で西洋美術を学び、後に母国で漫画の父と呼ばれるようになった人物がいます。朝鮮出身のキム・ヨンファンです。彼は、日本の美術大学で学んだ後、「北宏二」のペンネームで講談社の挿絵画家・漫画家として活動しました。しかし、新雑誌の立ち上げの仕事で韓国に滞在していた際に太平洋戦争が終結したため、そのまま故国で漫画家「キム・ヨンファン」としての活動を開始したのです。そして後に、韓国初の漫画雑誌を創刊し、国民的キャラクター「コチュブ」を生み出すなど、大きな業績を残しました。
戦中戦後、「北宏二」は日韓いずれでも、名のある挿絵家として知られた存在であったのにもかかわらず、キム・ヨンファンと同一人物であることはほとんど知られていませんでした。近年の研究で、彼が豊子愷同様に、日本で学んだ後に漫画という形で自国の近代化に貢献した人物であったことが明らかになったのです。
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