「教える」から「支える」へ 学校体育の意味を考える

なぜ「やらされるもの」に?
「体育が苦手だった」「部活がつらかった」、そんな経験を持つ人は少なくありません。なぜ学校のスポーツは「やらされるもの」になりやすいのでしょうか?
背景には、「教師が教え、生徒は従う」という学校文化の影響があります。しかしスポーツは本来、自分たちが楽しめるように、ルールなどを工夫しながらやるものではないか、という視点があります。勝利や記録を追い求めるだけではなく、「どうすればみんなが楽しめるのか」を考えることも、スポーツの大切な価値です。近年、その「楽しさ」の再定義も求められています。
スポーツをつくる経験とは
学校体育を「ドライブ」に例えて考えてみましょう。授業の体育は、いわば助手席に乗った状態で、まずは体を動かす楽しさを知る時間です。しかし、本当にドライブを楽しむには、自分で運転する経験が必要です。学校体育でその経験ができるのが、体育祭や運動会、休み時間の遊び、部活動です。自分たちでルールを決めたり、役割を分担したり、仲間と意見をぶつけ合う中で、「スポーツをつくっていく力」が育っていきます。ただ現実には、教師がすべてを決め、生徒が指示待ちになってしまうケースも少なくありません。
見直される教師の役割
学校体育の研究では、教師の役割の見直しも進んでいます。これまでのように「正解を教える人」ではなく、生徒と一緒に考えながら支えていく「伴走者」として関わることが重視されるようになっています。例えば部活動でも、「勝つために従わせる」のではなく、「どうすれば全員が成長できるか」を生徒自身が考えることが大切だと考えられています。スポーツを通して身につくのは技術だけではありません。他者と協力し、自分たちで環境をつくる経験は、社会に出た後も必要とされる「生きる力」になります。学校体育が持つ意味が、いま改めて問い直されています。
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