「見えない」を体験して知る、社会にある「障害」

目でラーメンを味わう?
視覚障害のある男性が、ラーメン屋で塩ラーメンを注文しました。ところが、あるトラブルにより実際に食べることになったのはみそラーメンでしたが、男性は「変わった塩ラーメンだ」と感じる程度で、最後までみそラーメンだと気付かなかったのです。
私たちは、情報の約7~8割を視覚から得ています。食べ物の色やビジュアルを見て「きっとこんな味だろう」と予測しています。そのため、視覚情報が遮断されて予測が上手く働かないと、実は、味の識別が難しくなります。おいしいという感覚は舌だけでなく、目でもつくられているのです。このように、目で見ることを前提として成り立っている事柄は世の中にたくさんあります。
誰にとっての便利?
それを踏まえて、まちのあり方にも目を向けてみましょう。飲食店のタッチパネルやQRコードで読み取るメニュー、駅の券売機など、一見便利な仕組みは視覚障害者にとっては不便なものです。なぜならば、それらは目で見ることを前提に成り立っているものだからです。
また、まちの再開発により広くなった通路は目が見える私たちにとっては歩きやすく感じますが、白杖で触れられる壁や段差、耳で聞く音の反響を手がかりに歩く視覚障害者にとっては、かえって不都合な空間となります。
便利になったはずの社会が、実は視覚障害者に不便をもたらすこともあるわけです。つまり、目が見える人を基準に設計された社会の仕組みが障害を生み出しているということです。
一緒に考えることの大切さ
「障害者にとって良い」と思うものが、時に、独りよがりな押し付けになってしまう場合もあります。例えば耳で読書を可能にするオーディオブックは大変魅力的な道具です。しかし、視覚障害者からは、感情豊かな朗読が自由な読書体験の妨げになるため、機械的な読み上げのほうがいいという意見も聞かれます。「良かれ」が相手の楽しみや快適を奪うこともあるのです。誰にとっても生きやすい社会をつくるためには、当事者と一緒に体験しながら考えることが大事なのです。
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