インドネシアで知らない人はいない女性、カルティニとは?

インドネシアで知らない人はいない女性、カルティニとは?

女性解放の先駆け

カルティニという女性を知っていますか。19世紀末から20世紀初頭にかけて、当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)のジャワ島で、現地の人々の女性解放の先駆け的な存在となった人です。短い生涯の中で、彼女はどのような生き方を選んだのでしょうか。

思い描いた女性の自立

ジャワ島北部ジュパラの貴族の第二夫人の娘として生まれたカルティニは、父の方針で、幼い頃からヨーロッパ人学校で学んでオランダ語を習得するなど、高い教養を積んでいました。しかし彼女が学校に通えたのは12歳までで、その後は現地の貴族の慣例であったピンギタン(婚前閉居)という外出禁止下での花嫁修業を強いられます。こうした経験が、その後の思想を生み出すきっかけとなりました。
行動が制限される中、カルティニは欧州の友人たちと盛んに文通をしていましたが、文通相手には、オランダ在住の女性活動家エステレ・ゼーハンデラールや、オランダ領東インドの教育文化省のアベンダノン長官とその夫人も含まれていました。カルティニはオランダへの留学を熱望し、帰国後は教育者となって女性のための学校を各地に設立することを夢見ていました。留学の夢はさまざまな事情によってかなわず、学校は小規模な私塾を自宅脇に開校したものの、出産後の産褥(さんじょく)熱が原因で、カルティニは25歳の若さでこの世を去りました。

死後に書簡集

カルティニの死後、生前に友人たちに送った手紙をまとめた書簡集『闇を越えて光へ』がオランダで刊行され、その収益で設けられた基金でジャワ島の各地にカルティニ学校が設立されました。インドネシアの独立後、1964年には国家英雄の称号を与えられ、彼女の誕生日である4月21日は「カルティニの日」という祝日になりました。そんなカルティニについて、生前に書いた手紙の全容や、死後に彼女の名が世間に浸透していった経緯、国内外での評価など、未解明の研究テーマが数多く残されています。

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大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 准教授 ミヤ・ドゥイ・ロスティカ 先生

大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 准教授 ミヤ・ドゥイ・ロスティカ 先生

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東南アジア地域研究(インドネシア)

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メッセージ

私は高校生の時に、広島に1年間留学しました。当時は日本語が全く話せず、授業についていけるか心配でしたが、今ふりかえると、思い切って挑戦してよかったと思っています。その後、インドネシアの大学で日本語を勉強し、今では日本の大学で研究に携わるまでになりました。今の時代は、何事も無理せず楽しい毎日を過ごしたいと考える人が多いかもしれませんが、自分では無理だと思っていることでも、時には冒険してみてもいいのではないかと思います。

先生への質問

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大東文化大学は、文、外国語、経済、経営、法、国際関係、スポーツ・健康科学、社会学の8学部20学科を擁する総合大学です。進路に合わせて自由に選べる科目の多さと、他学科の科目も選択できるカリキュラムも特徴のひとつ。1923年に当時の国会決議によって設立された本学の建学精神は「東西文化の融合」。この精神は今も息づいており、毎年約300名の学生が海外に留学し、海外からは400名の留学生が学ぶ国際色豊かな大学です。また伝統的に公務員・教員への就職に強く、全国各地で卒業生が活躍しています。