「信仰」をたどると、昔の人の意外な一面が見えてくる

明治政府の思惑
日本では江戸時代まで、疫病を抑えてくれる存在として「牛頭(ごず)天王」という神を各地で祭っていました。有名なのは京都の八坂神社(旧称・祇園社)で、その祭礼である祇園祭も元は疫病が発生しないように牛頭天王に願う祭りでした。ところが明治時代に入ると、新政府は牛頭天王を神社で祭ることを問題視しました。なぜなら、牛頭天王は日本の古代神話(古事記・日本書紀)には登場しない出自不明の神だったからです。武士の世の中から天皇中心の世の中に変えたい明治新政府は、天皇とは神の子孫であると明言する日本の古代神話に基づいた信仰を求めました。牛頭天王はそうした条件にそぐわなかったのです。
牛頭天王=スサノヲノミコト?
そこで牛頭天王を祭っていた神社は、牛頭天王の代わりにヤマタノオロチ退治で有名なスサノヲノミコトを祭ることにしました。実はこの両神は室町時代以降から同一視されていたのです。そもそも牛頭天王とは疫病を広げる恐ろしい存在で、だからこそ人々は神として祭り上げて疫病を広めないように祈っていました。こうした疫病を広める荒々しい姿は、古代神話のスサノヲとも共通していたため、牛頭天王=スサノヲだと認識されるようになったのです。現在、祭神をスサノヲとする神社の古い史料を読むと、もとは牛頭天王が祭られていた、というケースも多いのです。
拡張するご利益
たたりを収めるために神として祭られた菅原道真も、牛頭天王と似た存在と言えます。祭られる過程だけでなく、信仰の広がりとともにご利益が加えられている点も同じです。菅原道真が雷を扱うことから農業の神、その後に学問の神として祭られたように、牛頭天王も場所によっては五穀豊穣(ほうじょう)や商売繁盛の神として祭られたようです。
「信仰」というと厳格で近寄りがたい雰囲気を感じますが、いつの時代も人間はトレンドを求めるものです。いつしか拡大解釈されたご利益が生じ、庶民の願いが加えられて、信仰が身近なものになっていきます。実際はかなり素朴でミーハーな一面もあるのです。
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高崎経済大学 地域政策学部 地域づくり学科 准教授 鈴木 耕太郎 先生
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