東北地方の近代化を支えた東方正教

地域社会から日本の近代化を考える
日本の近代化という大きなテーマを考えるとき、都市部でいかに近代化が進められ、都市部の人々がそれをどう受け止めたのか、という枠組みでとらえられがちです。しかし、近代化は地方でも進められています。地方の地域社会がいかに近代化を受容したのかを知ることで、西洋化のバリエーションが明らかになります。都市部以外にも光を当て、地域社会の変遷の具体的な姿を明らかにすることは、日本史研究における重要な課題と言えるでしょう。
地域を飛躍させる足がかり
ロシアから伝来したキリスト教の一派「東方正教」は、幕末の函館を窓口として東北地方へ広がっていきました。東北地方は戊辰戦争で新政府軍と戦って敗北し、マイナスからの出発で新時代を迎えます。新政府の中枢に関われないという焦燥感を抱え、自分たちや地域社会を飛躍させる足がかりを探す中で出会ったのが東方正教でした。東方正教は新時代を切り開く武器として受け入れられ、地域社会と深く結びつきながら急速に普及します。信者の中心層を担ったのは士族で、彼らは地域のリーダーとして活躍し、明治前期に盛んになる自由民権運動にもいち早く参加しました。
東北地方で急速に普及したワケ
東北地方で東方正教が受け入れられた背景には、江戸時代から続く地域社会の構造が影響しています。岩手県の旧盛岡藩や宮城県の旧仙台藩では、江戸末期まで家臣の一部に土地を給与として与える制度が残っていました。この制度のもと、家臣層は支配者として地域に根ざし、住民との結びつきを強めていきました。そのため、早期に東方正教へ入信した家臣層のネットワークや影響力が、信仰の受容と普及を後押しする役割を果たしたのです。実際、明治10年前後には旧仙台藩や南部領において、すでに約2,000人の信者が存在していたことから、東方正教が村落社会にまで浸透していた様子がうかがえます。宣教師や信徒が残した日記類や教会の機関紙などの史料をもとに、今後も地域社会と東方正教の関係が明らかになることが期待されます。
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